映画「ワンカラット」の舞台裏
監督の撮影日誌より抜粋/構成 みかわこうじ
プロダクション
プリ・プロダクション / プロダクション / ポスト・プロダクション
日立ロケその1

 8月6日、クランクイン。ロケ車の通称あづき号に6人が乗り込んで早朝日立に向けて出発した。役割は加戸谷がサトル役。橋本がキミオ役。愛川が製作で食事の管理。宮崎が撮影、助監督、照明。大川が録音。そしてみかわが監督である。途中、宿泊場所を提供してくれる伊奈に合流し、昼前には日立に到着した。

 この日は皆には休んでもらって、その間に宮崎とみかわでS♯2の走る電車のショットを撮影しに水戸線沿線の羽黒まで向かった。95年の夏は前年に匹敵するほど暑いが、空の具合は良くなかった。青空は無く、どちらかと言えば曇りに近いのだ。そんな条件の中、稲穂なめの電車の映像を大量に撮影した。電車は30分に一度くらいしか通らないので、実際の撮影よりも待ち時間の方が長い。曇り空の所為だろうか、4時くらいにはもう撮影条件は最悪の状況だった。午後からの撮影だったので時間が過ぎるのも早く、初日だというのに納得のいく映像が収録出来なかった。

 7時に伊奈の奥さんの則子さんも加わり最初の夜食を皆で食べた。愛川の作った夜食は予想以上のもので、とても出先のロケの食事という感じではなく、奇麗に盛り付けられ、疲れを一掃するものだった。
 その夜、撮影に於ける最初の大きな決断をした。再撮影である。9日に電車内部の撮影を行う予定だったので、撮影隊を2班に分けることにした。第1班を電車内部、第2班を電車外景である。

日立ロケその2

 8月7日、役者にとってのクランクインである。午前中は金砂郷町の日立・笠間線沿いの竹越付近の畦道でS♯4・10を撮ることにした。午前5時起床、食事の後、7時過ぎに目的地へ出発。9時には撮影準備を始めた。しかし天気が芳しくない。雨が降るわけでもないのだが、曇っていて夏の雰囲気が出ないのだ。とりあえずサトルが畦道を歩き大学へ向かうという簡単なカットを撮影したが、昨日の失敗も加え、これでは初日から妥協の連続になってしまう。難しい演技を要求する場面ではないのに不満足なファーストショットを撮ることに憤りを感じた。そこで固形燃料をキャメラの前で燃焼させ、陽炎を作ることにした。撮影中、この映画は失敗するかもしれないという不安がつきまとった。

 10時30頃、小薗さんが娘のマリコちゃんを連れて現れた。小薗さんには今晩喪服の男の役で活躍してもらうことになっている。キャメラ位置を変え、同じ演技を撮影した後、やっと日が射してきた。朝早くから準備をして来たのに、実際に撮影開始可能な時間は10時過ぎということらしい。とはいえ、スケジュールに追われつつ撮影しているので、10時まで待っていられないのが現状だ。同じ場所でS♯10の畦道のサトルとキミオの歩きを撮影した後、場所を少し変え、S♯4のサトルの歩きとインサート用のショットを撮影し、昼食にすることにした。

 小薗さんの案内で移動し、中華屋で食事をした。人数が多いので座敷に座った。小薗さんがそこにあったテレビに自分のビデオキャメラをつないで、S♯8に登場する井戸を見せてくれた。なかなか良い。使えそうだ。キャメラアングルもすぐに想像し、撮影可能とみた。小薗さんに感謝し、食事を終えた。
 S♯10の農夫が登場する場所へ移動したところで、小薗さんが一旦家へ帰った。小薗さんは玉川村駅で喪服の男を演じることになっていたので、5時過ぎに駅で会う約束をした。

 2時くらいが一番撮影に適している時間のようだ。天気も良い。ロケーションも理想的だ。期待をしながらS♯10の農夫が登場する場面の撮影に入った。今日の撮影で一番難しいシーンだ。ここで農夫を演じる伊奈は、以前「気になる電話」で少し出演してもらったこともあったが、演技は未経験に近い。作品の方向性を決める最初のショットだけに、さぐりを入れつつ撮影を始めた。サトルとキミオの会話シーンはリハーサルを重ねて数テイク撮影した。どこでOKを出すのかということも監督の仕事のウェイトを占めている。実際のことろ二人の演技に不満はないし、アングルや画角にも問題はないのだが、何かしっくりと行かない。理由はたぶん自分の中にあるのだと思われる。何本か作品を撮ってきたことを思い返してみると分かるのだが、こういうことはよくあった。理想と現実のギャップというべきか、自分の想像の粋を突き抜けられない性格のせいだろうと思われる。次に伊奈演じる農夫とキミオの会話シーンに入った。伊奈は不慣れながらよく指示を聞いてくれて、自分でも演技プランを出してくれた。時間はかかったが、どうにかOKカットを撮ることができた。編集では数テイクある演技の中から抜粋して使うことになりそうだ。

 S♯10で手間取ったせいで、時間が4時を過ぎた。4時を過ぎると急激に日が傾いて撮影には不適当となる。予定では日差しがある時間に玉川村駅でS♯3の撮影をする予定だったので、急いで駅へ向かった。ロケハンの時に会った青砥さんは3時頃まで我々を待っていてくれたようだが、来ないので帰ったそうだ。青砥さんが居ないのは残念だったが、直ぐに撮影を開始した。しかし日はかなり傾き、明らかに夕方の映像だ。結局何度もテイクを重ねたが、妥協点は見つからず、諦めのOKを出した。

 5時半頃、小薗さんが友達の吉田さんを連れて現れた。二人には喪服に着替えてもらい、提灯を持って駅の前に立ってもらった。駅から出て来るエキストラに伊奈の奥さんの則子さんを起用し、暗くなるのを待ってS♯17を撮影した。駅の前の物々しい撮影に自治会の会長さんなどが見学に来て、テレビで見る映画の撮影風景になった。

 我々の使っているキャメラは、最近のキャメラと比べるととても暗い。よって夜間撮影は不得意だ。勿論それを承知で撮影しているので、早く終わらせようとしたが、場所が駅だけに電車が来たり、迎えの車が来たり、どこかへ向かう乗客が来たりで、NGが続出した。結局終わったのは8時頃だった。撮影の終わり頃青砥さんが来てくれたので、皆で記念撮影をして本日は終了となった。小薗さんを夕食に誘ったが、時間が遅いのでまた次の機会ということになった。伊奈は仕事があるので、ここから直接横浜へ帰ることにした。伊奈には色々世話になった。
 1時間かけて日立へ戻り、愛川の作ったカレーを食べ、皆早く寝た。みかわは一人でで明日のプランを練った。今日の撮影は手ごたえがなかった。予定のショットは消化したが、なんとも後味の悪い撮影だった。

日立ロケその3

 8月8日、今日は本編の中でもかなり重要なS♯12から15のうんこ山の撮影となる。サトルとキミオが山でコガネムシを探しだす場面だ。6時起床。食事の後、8時に小木津山公園へ向かった。一応歩く覚悟で、機材を最小限にとどめてはいたが、小木津山公園はその名の通り山だったのだ。公園の駐車場から公園の内部へはかなりの距離があった。公園の中心は池があったり、キャンプ場があったりして、人工林ではあるが、見た目には自然林のような作りだ。敷地もかなり広く、撮影場所を決定するのに手間取りそうだ。

 簡単なロケハンをして候補を見付けた後、撮影に入った。S♯12はサトルとキミオがひたすら歩き、フンを探す場面だ。数テイク撮影したが、日立ロケ始まって以来の手ごたえを感じた。2人の演技にサトルとキミオが存在するのを見た。とても良い。理想的だ。この勢いでS♯13へ向かった。小さな滝を背景にキミオがタヌキのフンをほじり、それを見ているサトルという場面だ。このショットも理想的だ。演技も良い。

 S#13のリハーサルが佳境に入ってきた時、一台の白いバンが我々の近くまで走って来た。ここまで車で来れるものなのかと思って眺めていると、ネクタイをした二人の男が降りて来て、撮影許可はあるかと聞いて来た。公園内は日立市役所の公園課で管理していて、撮影には許可が必要らしいのだ。勿論許可はない。そこで許可を下さいと言うとそれが下りるまでに1週間はかかると言うのだ。それでは撮影が無理なので、何とか出来ないかと交渉したが、役所の二人は必要以上に頭が固く、即刻撮影を中止しろと言う。公園の案内にも撮影に許可が必要だとは記されていなかったのがいけないのではないかと聞いたが、聞き入れる様子はない。押し問答のあげく、二人は強く撮影中止を命じて山を降りていった。小木津山での撮影はあっけなく中止となった。

 本来なら適当に役人を軽くあしらって撮影を続ければ良かったのであるが、日立に来て初めて理想的に撮影が進んでいたので、役人のちゃちゃに頭にきたのだ。撮影を再開するには皆の気分が落ち込んでいて、山から降りる時は誰も一言も喋ることなくもくもくと歩いた。時間的に日立でうんこ山のシーンの撮影をすることは不可能となった。当初の計画ではうんこ山の撮影はは横浜近辺で可能と考えていたので、残念だが、この重要な場面の撮影は横浜に帰ってからにすることにした。

 午後には日立に戻り、ビールを飲みつつ作戦を練り直した。今日撮影出来る部分がないので、昨日撮影しS♯3の駅を撮り直すことにした。愛川にはマンションに居てもらうことにして、日立駅へ向かった。1時にCM等で活躍している秋本翼さんと待ち合わせをしているのだ。秋本さんを捕まえた後、玉川村駅へ向かった。2時過ぎに駅に到着し、直ぐに撮影準備をした。ところが空には雲が多く、条件は昨日とさほど変わりはない。ここまで来て何もしないわけにはいかないので、撮影を始めることにした。せっかく秋本さんが来ているので、彼女にエキストラを頼み、多少天気に不満を感じてはいたが、何とか終了した。

 この日は小薗家の夕食に呼ばれていたので、メンバー全員でお邪魔した。今日は不本意な事が続いたせいで、気落ちしていたが、話は盛り上がり、11時過ぎまでゲームなどをして楽しんだ。

 日立へ戻ると皆は疲れていたらしく早く寝たが、明日の撮影は2班に分けて行うことになっていたので、みかわと宮崎は撮影プランの打ち合わせをした。電車の遠景ショットを撮影することになっていた宮崎には演出イメージを詳細に伝えた。電車内組は、電車のキップをどう購入するかで悩んだ。青春18切符を買えば一人2千円ちょっとで一日中乗車することが出来る。ただし切符は5枚1組で代金は1万円を超える。このロケに来てからずっと思っていたことだが、映画というのは正しいと思われる決断がとんでもないことにつながるということがよく起こる。それが“戦争”の論理に良く似ている気がする。今の最良の決断が本当に正しいのかは誰にも分からないのだ。時には素晴らしい作品を作っているという気になったり、駄作を作っているのかもしれないという不安に襲われたりするの、がシーソーのように繰り返し繰り返しやって来る。映画作りとはそういうものだ。

日立ロケその4

 8月9日、朝7時に宮崎と大川は車で水戸線羽黒駅へ向かった。二人を見送った後、9時過ぎにみかわと加戸谷と橋本の三人は日立駅から常磐線で水戸へ向かった。水戸、友部で乗り換え景色のいいところを探しつつ撮影を開始した。車内で撮影をするため、キャメラはハンディ・タイプを使用し、音声はあらかじめアフレコのつもりでおこなった。水戸線のスピードは思ったより速く、揺れが激しいため、撮影は困難であったが、順調にテイクを重ね、俳優の出る場面は終了した。途中、羽黒駅で降り、宮崎組の撮影の様子を見に行った。電車遠景ショットは幾つか撮影出来たが、通称“ひまわり”カットが手間取っているようだ。暑さのため、用意したひまわりが次から次へとだめになっていくらしい。加戸谷と橋本を宮崎組へ残し、みかわ一人で車内から外を見た映像を幾つか撮影して本日は終了とした。

 撮影環境が悪かったわりには、予定通りのショットを押さえる事が出来たので、夕方には日立へ戻った。
 明日も撮影は残っているが、今晩は日立ロケの最後の夜なので、一応打ち上げめいたことを企画していたのだ。しかし疲れがたまっていたのだろう。殆どのメンバーは早い時間に就寝した。

日立ロケその5

 
8月10日、朝8時に日立駅のターミナルで小薗さんと待ち合わせをしていたが、マンションの前で会うことが出来た。2台の車で日立から50分くらい車を走らせた。
 天気は良い。今回のロケの中で唯一演出プランがしっかりしていないシーンの撮影だったので不安があったのだが、思ったよりもスムーズに準備が進み、演技もキャメラも最高の出来となった。
 小薗さんはヒデ君とマリコちゃんを連れて来ていた。マリコちゃんが午後に海へ行きたいと言ったので、そのつもりでいたが、空が曇り始めてきた。
 日立に戻り、小薗さん達を加えて昼食を取った。空はますます暗くなってきて、雷も光った。しばらく様子を見たが雨も降りだし、海は諦めた。3時過ぎに小薗さんは帰宅し、我々も帰り支度をした。4時には日立を後にし、5日間にわたる日立ロケは終わった。

次なる準備

 日立ロケが終了した後、撮影した全てのショットを確認した。やはり10日に撮影したS♯8の井戸は最高の出来だ。全てのカットがS♯8のレベルで撮れれば理想的だが、現実はそうもいかない。他の日に撮った部分も思った程悪くはなかったので、後は編集でうまく映画にすることに決めた。今までの経験から、現場では最悪と思っていても、後で見てみるとそれほど酷くはない事がよくある。

 8月19日、S♯7校舎・中のロケハンに出掛け、共働舎という福祉関係の施設を見に行った。先生と呼ばれている師さんという人に中を案内してもらった。中には陶芸の部屋や、パンを作る部屋などがあって、印象としては中学校の美術室を思い出す。大学という雰囲気ではないような気が多少はしたが、ロケーションとしては申し分ない。その後施設の外側を見せてもらった。外には温室があり、花が栽培されていたり、肥料が山になったりしている。S♯7は室内シーンにするつもりでいたが、外の方がいいようだ。即座に決定してキャメラアングルを考えた。温室のすぐ隣が道路なので、それが写らないようにしなければならず、自ずとキャメラの場所が決定した。ここでの撮影の問題は音である。設定では山の上の大学ということになっているが、近くで車の走行音がするのだ。音は同録が望ましいが、最悪はアフレコということも念頭におきつつ、何か良い解決策を考えねばならないだろう。この撮影は8月27日に決定した。

 8月20、加戸谷と共に日立ロケで中止になったうんこ山のロケハンに鎌倉の弁天山公園へ行った。S♯7で使用する蝉の抜け殻を探しながら景色を見た。加戸谷はここでいいのではないかと提案したが、納得がいかなかった。弁天山には案内板があって、撮影には許可が必要と書いてあり、連絡先も記してあった。小木津山とは格段の差だ。昼食を取った後、さらに逗子方面へ行ったが、納得のいくロケーションには巡り会うことができなかったので、この日は諦めた。

 8月21日、弁天山の許可を取るために、鎌倉市役所に電話した。許可が降りるには1週間ほどかかり、撮影許可料金として8千円かかるそうだ。あの公園に8千円は高いと判断し、さらなるロケハンを検討したが、それならば小木津山でもう一度撮影すればいいと言うミンボーの鶴の一声で、小木津山公園へもう一度行くことにした。日立ロケでの小木津山の映像があまりにも良く撮れているので、それ以上の場所を探すのが困難だと判断した。小木津山公園のロケを9月3日に決めが、夏はもう終わりかけているので、この日取りが限界だ。

奈良へ

 8月25日、コガネムシを求めて、みかわ、加戸谷、宮崎の3人で奈良へ向かった。朝5時に出発し、琵琶湖の南に着いたの12時頃だった。昼食の後、音羽山へ行き、牛尾観音があるところまで登った。塚田圭一さんの著書「日本糞虫記」によると、ここにはミドリセンチコガネが生息しているはずなのだ。途中、地図には道が記載されているのだが、ダムの工事の為、通行止めになっており、そこで車を停めた。山道を徒歩で登って行ったが、はっきり言って目的のミドリセンチコガネがどこにいるか皆目検討がつかなかった。動物の糞に群がっているということは勉強していたが、そもそも動物の糞がどこにあるのか分からないのだ。元気一杯に出発したわりには最初の目的地で不安に駆られた。とりあえず作戦を立て直す為に山を下りる事にした。

 その時である。加戸谷が見付けたのだ。回りにティッシュが散乱しているのハイカーの人糞からミドリセンチコガネが顔を出していた。興奮した。直ぐに割り箸を使いほじってみると、中から3匹のミドリセンチコガネが現れた。虫カゴに土とミドリセンチを入れ、意気揚々と山を下った。元々今回の計画は大変な作業になるだろうと予測していたので、ミドリセンチの収穫は大きかった。幸先良いスタートだったので、ここでの散策は切り上げ、ルリセンチコガネが生息している奈良公園へ向かうことにした。

 4時頃奈良に到着し、公園内を歩いてみた。鹿が至る所にいて、糞も落ちているのだが、土が堅くて虫が潜り混めるような所ではなかった。夕食の後、春日山で灯火採取を試してみたが、芳しくなく、電灯の下を探してみることにした。小さな糞虫を幾つか発見したが、目的のルリセンチは見つからなかった。数時間歩きつつ探し続け、やっとの思いでルリセンチの羽根の一部を見付けることができたが、12時近くなったので、この日の作業は終わらせ、奈良から南へ車で30分ほど行った天理にある奈良健康ランドで休んだ。

 8月26日、7時に起床し、近くの山に行く事にしたが、出掛ける前にとんでもない事が起こった。虫カゴを車の中へ居れておいたのだが、火を消してない香取線香も車内に置いたままになっていたのだ。ミドリセンチは1匹死んでいた。気落ちしながらも山へ登った。頂上まで来て気付いたのだが、この山は針葉樹なのだ。虫の気配がなく、諦めて奈良公園へ向かった。

 公園に着いたとき、加戸谷が車酔いしたので、宮崎とみかわで公園内を散策した。奈良公園はとても良い。修学旅行などで来る場合は、公園の入り口辺りで終わりだが、奥の方は立派な樹木が林立し、うんこ山の撮影をここでしたいと思った。小木津山を超えるロケーションがここにあった。だが、ここまでロケに来るのは現実的ではない。しかし良い場所だ。関心ばかりしていられないので、糞を見付ける度にほじってはみたが、手応えはなかった。車へ戻った時は2時を回り、横浜帰宅予定時間の3時に迫っていた。その上、ミドリセンチがまた1匹死んでしまったのだ。

 最後の頼みで春日山へ向かった。トランシーバーで連絡を取りながら、別々の場所を散策した。もうダメかもしれないな、と思いつつ歩いていると、糞の匂いが漂ってくるではないか! 興奮して辺りを探し始めたが、糞はない。そこで獣道を伝って山を登ってみると、鹿の糞が辺り一面に落ちている場所を見付けた。それも大量に。ほじってみるとルリセンチの体の一部が発見され、これならルリセンチも大丈夫だという手応えを得た。時間は3時を過ぎたが、止める訳にもいかず、散策を続けた。そしてついに藍色に輝くルリセンチコガネを見付けたのだ。ところがトランシーバーに知らない人物の声が聞こえた。「あなたは誰ですか?」と。これはマズい。小木津山の二の舞いになることは避けなければならない。せっかく見付けたルリセンチを取り上げられるかもしれないという不安を感じた。トランシーバーでの連絡が出来なくなり、お互いの場所の確認が不可能になってしまった。悪戦苦闘した揚げ句、前日に発見したのを加えて9匹のコガネムシを捕獲して、4時過ぎに観光もせず奈良を去った。翌日はこのルリセンチコガネが出演する場面を撮影するのだ。

大学と下宿のシーン

 8月27日、8時にみかわ家へ加戸谷と宮崎と大川が訪れ、ロケ先の本間さんの家へ向かった。本間さんは豆腐屋を営んでいて、2階が下宿部屋のようになっている。その一部屋を借りて、S♯18のキミオの下宿の撮影をすることになっている。

 ミンボーも手伝い、部屋を掃除した。家具や小道具を配置し、キミオの部屋を作り上げた。10時頃から最初のカットを撮影しはじめた。この作品の中で一番長いシーンである。初めは7分だったテイクが、最終的には9分程になっていた。普通の場合、テイクを重ねる度に時間が短縮されていくものであるが、加戸谷と橋本の二人は演技のディテールをどんどん深めて、逆に長くなったのだ。予想以上に面白く、満足のいくシーンが出来上がった。1時に次の現場である共働舎へ向かう予定であったが、1時間遅れてしまった。

 2時になると、もう日の角度が気になってくる。急いでセッティングし、まず室内の撮影をした。順調に撮影は進み、次に野外の撮影だ。野外はロケハンの時に気になっていた音の問題があったので、それを解消するために傘を使った遮音材を製作し、道路に背を向けるようにして収録した。野外での撮影もほぼ順調に進み、5時には予定のカットを全て終了した。
 本日は日差しも良く、演技も安定して、満足のいくカットを作り出す事が出来た。

日立ロケその6

 9月3日、朝4時に横浜を出発し、8時半頃には日立に着いた。朝食を取ってから小木津山公園へ向かった。今日はうんこ山のシーンを全て取り終わる予定であるが、空模様がはっきりしない。曇っているのだ。しかしもう9月である。夏は終わったのだ。これ以上予定を繰り上げるのは危険だ。そこで、多少台詞の変更も加え、撮影を続行する事にした。前回の日立ロケと日差しが違うので、S♯12をもう一度撮影した。しかし役者の二人の息がなかなか合わない。加戸谷は多少の環境の悪さでも演技可能なのだが、橋本は環境変化に敏感なようだ。エンジンがかからず、演技の水準も低い。しかし、撮影は進行させなければならず、妥協点を模索しながらの撮影した。昼過ぎに小薗さんが参加してくれた。夕方には撮影は終了した。不満足な天気と演技ではあったが、予定は全て消化した。後は編集でドラマにしよう。帰りに小薗さん家族と共にファミリー・レストランで夕食を取り、帰宅した。これで橋本はクランク・アップとなる。回想シーンの撮影は終わり、残るはサトルの実家とアパートの場面だ。

製作中断

 コガネムシの寿命が尽きる前に、S#15で使用する“うんこから出てくるスカラベ”を撮影しなければならず、みかわは自らの排泄物を天日に干して、自宅の裏でキャメラを回した。時間が経過するに従って、これまた綺麗な色をした蠅が群がってきた。どうしてフンに集まる虫は輝いているのだろうと思いつつ、30テイクほど撮影した。

 9月9日、地元小学校の裏で、サトルがキミオの大学に到着する場面を撮影した。1カットだけのシーンで、2テイク撮影して終了した。全行程40分だった。

 9月11日、やっと時間が取れたので、ラフ編集にかかる事にした。撮影した全ての素材のアドレスを作り、整理した。準備が整い、さあ始めようと思った瞬間、編集用デッキの調子が悪くなった。故障だ。仕方がないのでソニーのサービスへ行ったら営業時間が終わっていた。不景気のせいで時間が短縮されたようだ。

 9月13日、今日は早めにソニーのサービスへ出掛けた。修理には2週間かかり、代金は2万円程かかりそうだ。とにかく直さなければ先へ進めないので修理を依頼した。

 デッキの修理が完了した後、「ワンカラット」より前に撮影していた「母さんの貯金」の編集にとりかかった。夏の季節は完全に終わり秋になっていたため、撮影の続行は不可能だったのだ。「母さんの貯金」の編集は、とても細かな作業となり、年を越えて1996年1月に終了した。

製作再開・ラフ編集

 1996年5月6日、制作を再開すべく、ミーティングを行った。これからの計画を大雑把に決め、ラフ編集を開始した。

 編集を初めて、多くの問題に直面した。全く面白くないのだ。とにかく、当初の計画通り、カットをつなげて行くしかないと思い、作業を進めた。うんこ山のシーンは、撮影では手応えがあまり無かったが、つなげてみると予想以上の効果が現れてきた。映画がやっと面白くなってきた。編集を完了した時点ではいつもの自信が沸いてきた。この映画は面白い映画になる! 撮影部分のラフ編集ヴァージョンはトータルで43分にもなっていたので、この内10分程度はカットする必要があるだろう。サトルがキミオに出会うまでが長いので本編集では調整しようと思う。

上映会場選定

 5月25日のミーティングで、上映会を横浜にあるSTスポットで12月に行うことにした。この上映会はプロデューサーである大川を中心に進めていくことになっている。6月1日には12月27日、28日、29日の3日間の予約を取ることができた。

 ところが、その後のミーティングで12月末の上映は集客が難しいのではないかということを考慮にいれ、3月に延期することにした。

お葬式

 製作開始時から懸念だったお葬式のシーンを、伽羅の初期のメンバーである城平家で撮影することにした。撮影に合わせて、セットや衣裳、小道具等の作成をミンボーとミンボーの姉である征子さんに依頼した。完成した道具類は明らかにニセモノなのだが、不思議なことにレンズを通すとそれらしく見えるものだ。このシーンには大勢のエキストラが必要なので、両親、友人、知人から数十人のリストを作成して撮影に備えた。

 8月初旬に撮影は行われた。人数が多いので指示書を書類にして渡し、それぞれの役割を伝えた。みんな指示をよく聴いてくれて、撮影は順調に進んだ。過去に故伊丹十三の「お葬式」という作品を観たことがあり、悲しいはずのお葬式のシーンが賑やかで嘘っぽく感じた。しかしあの映画は間違ってはいなかったのだ。実際のお葬式でもあの映画のような雰囲気で、悲しんでいる余裕が殆どないのだ。その感覚を作品の冒頭のシーンに描きたいと考えていたが、理想的なショットが数多く撮影された。

上映会場決定

 8月25日に岩間市民プラザで自主上映会が開かれた。大川はそれを観に行き、上映場所は岩間でもいいのではないかと提案した。検討した後、同ホールで上映する事に決定する。

 9月6日、上映企画書を作成し、大川とみかわの二人は、岩間市民プラザへ向かった。担当の森井さんと話をし、後援という形式をとることを検討する。

 9月8日、ホールの抽選会に参加するため、大川とみかわで岩間へ向かう。当初3月の14、15を候補に考えていたが、当日いきなり28日29日に変更し、チャレンジする。結果は当方の予定通り28日、29日で決まる。

 9月11日、伽羅のミーティングにおいて、3月28、29日の上映が決定。企画準備を始める。伽羅にとっては初めての上映会となる。今までの成果を遂に見せるときがきたのだ。

クランク・アップ

 
9月21日、久しぶりの撮影。今日はサトルのアパートの前でキミオから届いた小包を発見するシーンである。井上幸次さんの協力で彼の住んでいるアパートの前で撮影は行われた。夕方から夜にかけて準備をして2カット撮影した。住宅街で、その上夜の撮影だったため、久々に近所の目を気にしながらの作業となった。

 10月4日、お葬式のシーンでも協力してくれた大里千草さんにチラシの作成を頼むための打ち合わせをした。ラフ編集テープと音楽を渡し、自由に発想して自分の作品として恥ずかしくないものを提供してほしいという気持ちで頼んだ。注文としてはチラシを単なる情報欄だけにしたくなかったので、一つの絵としても楽しめるものにして欲しいということを伝えた。

 大川宅でS#21のサトルの部屋の中のシーンを撮影した。今日は役者のクランク・アップでもある。ラスト・シーンの撮影となるため、キャメラ位置、照明、演出すべてに気を配り、慎重に準備をした。特に照明を担当した宮崎の凝りかたはただ者ではなく、彼の力によって作られた画面は美しいものになった。ラスト・ショットになるサトルの顔は加戸谷の演技の中では最高傑作だ。どのショットも素晴らしい出来で、編集が楽しみだ。

 これで長く続いた撮影も一段落となった。アフレコが残ってはいるが、役者は出演する場面はこれで終了となる。撮影で残っているのはインサート用のカットが数カットだけだ。これからポスト・プロダクションに入る。作品のイメージで出来上がっているので、後は音楽の製作と編集に時間を費やして、作品に磨きをかける番だ。

プリ・プロダクション / プロダクション / ポスト・プロダクション

伽羅の代表作
音楽の評価も高いワンカラット。
リアル・オーディオでそのテーマ曲が聴けます。
上映に関する情報はこちらまで。
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