映画「ワンカラット」の舞台裏
監督の撮影日誌より抜粋/構成 みかわこうじ
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94年の5月、みかわは加戸谷から「1カラット」というタイトルのシナリオを受け取った。
 主人公は法学部の学生サトル。映画好きで古い8ミリキャメラを愛用している青年である。舞台は、心臓病だった兄キミオの葬式から始まり、サトルが最後にキミオに会ったときの回想へと進んでいく。キミオは田舎の大学に通う虫好きの青年で、その日もサトルを連れて山へ行く。それらのキミオの行動をサトルは8ミリに収録していく。そこで2人はコガネムシを発見する。コガネムシはアフリカではスカラベと呼ばれ、フンの中から自生することから復活のシンボルとされているという。やがてキミオはスカラベを求めアフリカへ旅立ち、そこで他界する。物語はサトルの思い出をナレーションで綴っていく。

 加戸谷はこの話を新聞の記事からヒントを得たらしい。塚本先生という虫好きの大学教授の事を記したもので、アフリカのスカラベについて書かれていたものだ。小さな新聞記事から物語を組み立てる。これはまさにシナリオ執筆の基本とも言えるが、一気に書き上げたというシナリオに詰められたドラマはすばらしく、いつもながら彼の才能の豊かさには感動させられた。

 大規模なセットや特殊効果は必要のない作品なので自分達でも製作可能だと判断した。ところが、やっぱり映画は大変なのである。

製作開始

 
「1カラット」の設定は夏であったが、この年(94年)の夏は加戸谷氏が監督を努めている「Joy Ride」の撮影があったので、「1カラット」の製作は95年の夏に決めた。この時点では、主役のキミオとサトルを、それぞれ橋本太と加戸谷隆斗が演じ、監督をみかわが担当するということくらいしか決定していなかった。
 それまでの経験から準備は早めに始めようと思っていた。計画では、95年1月から準備に入り、7月から撮影。9月から編集10月には完成というわけだ。ところが、95年の年が明けても、すぐには始めることができなかった。いつものことである。

 シナリオを映像化するにあたっての具体的な問題は、キミオの葬式のシーンとインドの映像だと感じた。まず葬式のセットを組める場所がないことと、セット自体をどうするか皆目検討がつかなかった。インドの映像はインドロケか? シナリオの最初に受け取った時は無謀にもそう考えていたが、実際には予算的に不可能だ。ではどうするか? まったく見当がつかない。

 この作品はどうしても95年中に完成させたいと考えていた。なぜなら95年は映画誕生百年だからだ。「1カラット」はスカラベの8ミリの映像で終わる。映像そのものが主役になる場面だ。映画百年にふさわしい作品になると思われた。しかし結局実際に製作に入ったのは95年6月からだった。なぜなら今始めなければ年内には完成しないと思い、無理やり時間を捻出したのだ。

脚本の調査

 
まず最初にシナリオを読み込む事から始めた。オリジナル・シナリオがもともとよく出来ていたので、修正する部分はほとんど無い。変わったところは、タイトルの表記が「1カラット」から「ワンカラット」になり、インドがアフリカになったことくらいだ。

 作品のテーマは何か考えてみた。最初の印象は単に穏やかな物語というものだったので、この印象を作品に貫かせようと思った。次に何を表現するか? 何と言っても死と復活がこの作品を貫く大きな柱だと感じた。しかしその部分は演出だけで作れるものではない。役者の力量で大きく変わってしまうだろう。そこで演出プランとして役者の方向性を読み伺うことを年頭においた。もともと映画製作は個人のものではない。映画はひとりでは作れないからだ。数人から数十人の人が集まり共同作業の中から作品を具体化するものなのだ。よって演技は役者のものである。役者の中から生まれないものを求める事は不可能に等しい。演出方針として、役者の演技の中から演出プランを抽出する作業をすることに決めた。

 物語の舞台が田舎の設定なので、地方ロケが最良であるが、電車、駅関係以外では地元横浜で撮影出来そうだった。そんな中で一番規模が大きく製作費も掛かりそうなのが葬式のシーンだと判断し、仏檀を貸してくれそうな所を探した。唯一、仏檀のレンタルを扱っている日本コンサート・ビューローという会社を見付けて連絡したが、借りる予定の日に実際にお葬式があった場合、そちらを優先させるらしく、物がないということも有り得るというのだ。そこの担当の人物の印象があまりよくなかったので、あきらめて電話を切った。さすがに仏檀をまるごと借りるのは製作費が掛かり過ぎるので、土台は出来合いのもので制作し、うわものだけを借りる作戦に変更し、以前「気になる電話」で赤電話を借りた日本芸能美術に相談してみた。日芸の対応はとてもよく、必要なものを絵に画いてFAXしてくれと言ってきた。予算に応じて必要なものを製作してくれるというのだ。撮影日が決まり次第また連絡することにした。

第1回日立ロケハン

 
作品には田圃や田植えという設定があるために、最初から茨木でのロケを考えていた。とは言え、田圃の中を電車が走るというシーンがあり、話の中に山が登場するために、そういう場所を地図の中から探さなければならなかった。車で移動することを考えて、常磐道で山のあるところまで北上することにして、電車は筑波山近くのJR水戸線に絞った。

 7月1日、みかわは、妻の通称“ミンボー”と共に最初のロケハンに出発して、水戸線の駅を一つずつしらみつぶしに調べた。駅のシーンは稲田駅が第1候補。第2候補は大和駅。それぞれ8ミリビデオに映像を収録した。他の駅はとても撮影には使えそうもないので、その二つの駅から選ぶことになりそうだ。電車の走る遠景ショットは、羽黒駅近くの田園だ。線路の回りにかなり広く田圃が続き、とても良い。駅はともかく遠景ショットはここで撮影することを決定した。場所は決まったが、実際の撮影をどうするかが問題だ。駅、電車の中、電車の遠景を1日で撮るのは不可能に近い。泊まりがけで撮影する必要がありそうだ。

 その日の帰りがけに伊奈万治の家に拠った。以前彼の結婚式を撮影したことがあり、それを編集したものを渡そうと思ったのだ。伊奈の家でロケハンの説明をすると、伊奈は日立電鉄が条件に合うのではないかと提案してきた。しかし日立電鉄は水戸線から1時間以上北上しなければならない。それでなくても遠く時間もかかるところで幾つかのシーンを撮らなければならないので、内心無理だと判断した。ところが、日立駅の近くに伊奈の父親が所有しているマンションがあり、普段は使わないので泊まるなら使っていいと言うのだ。そこで可能性が飛躍し、映画の多くのシーンを日立で撮影することに決めた。うんこ山のシーンはかみね公園が使えそうだ。電車、駅は日立電鉄。もしそこが使えなくても水戸線まで南下すればいい。横浜から移動することを考えれば簡単なことだ。そんなわけでアッと言う間に話が決まり、7月下旬から8月上旬に日立でのロケを5日間にわたり行うことに決定した。

第2回日立ロケハン

 
帰宅後、ニフティサーブの映画フォーラムを利用し、「日立市在住の方へ」と呼びかけた。こちらからすべての人間を用意するのは不可能なので、地元で調達しようと考えたのだ。すぐに協力者から連絡があった。日立南太田の近くに住む小薗さんというサラリーマンだ。あまり期待はせず、一応協力を頼んだ。
 撮影場所と宿泊場所が決まったので、ロケに参加する人物を決める段階に入った。監督のみかわ以外に出演の加戸谷と橋本は確実に必要だ。それと作品のまとめ役である大川、そしてスタッフの宮崎と愛川の計6名で行うことにした。そこで7月28日から5日間で計画を立て、準備を進めた。

 もう一度日立のロケハンが必要なので、7月15日の早朝、家族で日立へ向かった。10時頃小薗さんの家へ到着した。小薗さんは想像以上の人物で、こういう映画好きの人が近くにいればなあと思った。お昼を御馳走になった上、日立周辺を案内してもらった。うんこ山のシーンはかみね公園よりも、小木津山公園の方がいいだろうと提案してくれたので、それに従う事にした。小薗さんには直前に出来たシナリオの決定稿と資料を渡して別れた。

 その後、独自にロケハンを続けた。日立電鉄は完全なイメージではなく、水戸線の方がまだイメージに近い。ただ、駅が使えるかも知れないので、ひと駅ごとに見て回った。駅も水戸線の稲田駅を超えるものがなく、諦めかけたが、日立電鉄から、JR水郡線に進み、駅を見て行った。水郡線は新型車両が多く、電車自体は使えないが、駅はどれも使えそうで、どんどん内陸へ進んだ。そして玉川村駅に出会った。

 玉川村駅は日立から車で1時間はかかるところにある。一目見て気に入った。単純に絵になる構えをしているのだ。ここで撮りたい。8ミリビデオと写真を数枚撮り、帰ろうとしたところ、駅で働いている地元の人に話しかけられた。「横浜からですか?」車のナンバープレートを見て聞いたのだろう。これを逃してはなるまいと思い、すかさず名刺を差し出し、駅を撮影に使わせてもらえないかどうか聞いた。すると渡した名刺にある住所を知っているらしいのだ。息子さんがうちの近所で来たこともあるらしい。お陰で撮影はOKとなった。おじいちゃんという印象の青砥さんによると玉川村駅は8月頃取り壊されて新築されると言う。撮影するなら早いほうがいいだろう。二人で記念撮影をし、日も暮れかけていたので駅を出た。

 帰宅し、7月28日に向けて準備を進めていたところ、キミオ役の橋本のスケジュールがキツイようなのだ。そこで28日は諦め、8月6日から5日間に変更した。

コガネムシ

 この映画には虫が登場する。それも近所で捕まえられるようなものではなく特別な虫だ。日本にいるコガネムシ科の昆虫は300種類もいる。その中で映画に使えそうな美しいものは、緑色に輝くミドリセンチコガネと青色に輝くルリセンチコガネである。そこで加戸谷が新聞記事に掲載されていた塚本先生という人に連絡をとってみた。我々の求める2種類のコガネムシは紀伊半島にしか生息しないという。図書館から塚本先生が執筆した「日本糞虫記」という本を借りて来て調べてみると、生息地分布図が記されていた。琵琶湖の南側にミドリセンチコガネ。奈良公園を含む紀伊半島南部にルリセンチコガネという分布。これは奈良に行くしかないと判断し、日立ロケの後に行くことにした。

キャスティング

 
この作品の殆どは主人公サトルと兄キミオが中心になるのだが、他に何人かキャストが必要だった。特に日立ロケで出演する俳優は決めておかなくてはなならない。サトルが大学へ向かう途中で出会うクワを持った青年は宮崎で決まる。彼は月夜戯人館の館長でもあり演技経験がある。うんこ山の帰りで出会う喪服の男は、小薗さん。もう一人は小薗さんの方で連れて来てくれるようだが、もしだめな場合を考えて大川に頼むことにした。問題は農夫である。最初、愛川の知り合いで映画製作経験のある友人に頼むつもりでいたのだが、持病がひどくなり動けないようなのだ。そこで何人か候補を選んだが、どうもピンとこない。悩んだあげく、宿泊場所を提供してくれる伊奈に頼むことにした。演技経験はないが、持ち前の要領の良さがあるのでこなせるとみたのだ。これで日立ロケの準備が揃った。

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伽羅の代表作
音楽の評価も高いワンカラット。
リアル・オーディオでそのテーマ曲が聴けます。
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