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キミオ役 橋本太志 | |||||||||||||||
心臓病を持ちながらもアフリカへスカラベを求めて旅立つ兄キミオをエキセントリックに演じる。 数々の舞台を経て、崔洋一監督「マークスの山」で映画デビュー。 |
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サトル役 脚本 配役 加戸谷隆斗 | |||||||||||||||
「ワンカラット」の脚本家であり、サトル役として、また製作の中心的存在としても活躍した。 幼少の頃からテレビ、映画、CMで役者として活動し、89年にみかわこうじと共に伽羅<きゃら>を発足。アイデアのひらめきと脚本の執筆速度には定評があり、代表作「ワンカラット」は1時間で書き上げたという。 97年からはThe Acting Societyに参加し、数々の舞台に立つ。現在では、舞台の脚本、演出などをこなしつつ、ロックバンド“トリガーハッピー”のプロデュースもおこなっている。 07年、みかわこうじと数年ぶりの共同作業となる映画の脚本を執筆中。 |
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監督 音楽 編集 みかわこうじ | |||||||||||||||
オーソドックスな演出と編集、そして感動的な音楽で「ワンカラット」をインデペンデント映画の枠を越えた作品に仕上げた影の主役。 現場では常に、冷静な判断力と柔軟な思考で、瞬時にみんなの可能性を引き出すので、スタッフ、キャストからの信頼は厚い。その天性のインスピレーションで撮る映像は観るものを確実に引き込む。 12歳から映画を撮り始め、89年に加戸谷隆斗と共に伽羅<きゃら>を発足。数々の作品を発表する。 また同時に劇中の音楽も作曲し、それが興じて音楽活動もおこなっている。 今年、遂に新作の製作を決意し、加戸谷隆斗と共に製作準備中。 |
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製作 愛川眞由 | ||||||||||||||||
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「ワンカラット」の国際版の製作をおこない、海外への紹介を果たした。 幼少よりバレエ・ピアノ・絵画等、五感を磨く感性重視の教育を受けた。 イギリスに留学時に観た数々の舞台に多大な影響を受け、帰国後も声楽、演技、ダンスなどを学んでいく。 92年に伽羅<きゃら>に加入し、その後アメリカのアクターズスタジオのメソッドを取り入れた訓練所でトレーニングを受け、演技を磨く。 他にも丸の内フロンティア分科会、コンテンツ交流会の幹事を務めるなど、積極的に活動。 武道はフルコンタクトのテコンドー、中国武術の馬貴派の八卦掌、ボクシングなどをたしなみ、特に馬貴派の八卦掌では、日本での稽古に加え、毎年数回、北京から来日する老師にも積極的に指導を受けるなど、まさに文武両道を貫いている。 |
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照明 助監督 宮崎貴正 | |||||||||||||||
確かな技量で撮影現場での様々な面をサポートした。 91年に“月夜戯人館”を立ち上げ、館長として脚本、演出、役者として活躍。93年に代表作「サクラメント」を生み出す。同年、伽羅<きゃら>に加入。 黒澤フィルムスタジオなどの現場で、映画、CMなどのスタッフとして活躍し、その技術が買われて現在では、舞台照明や舞台監督としても手腕を発揮している。もちろんその技量は伽羅<きゃら>の作品でも生かされている。 |
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国内版製作 録音 大川雅之 | |||||||||||||||
国内版の製作と録音を担当した。 91年に宮崎貴正が館長を務める“月夜戯人館”に役者として参加。翌年には伽羅<きゃら>にも加入する。 数字に強く、製作や上映等の会計を引き受け、その仕事の正確さからスタッフの信頼を得ていたが、現在では活動を休止している。 |
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美術 三河月乃 | ||||||||||||||||
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劇中に登場する様々のものを製作し、みかわこうじの妻であるということもあって広範囲に監督のサポートをした。 89年の伽羅<きゃら>参加以前から、みかわこうじと共に映画製作の機会を狙っていた。 伽羅<きゃら>では、役者の他にあらゆる作業に携わり、各作品で重要な働きをしている。 現在では、童話の執筆活動をおこなっている。 |
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